三島由紀夫になにをおもふ
2017.6.27
手に取ったのは『三島由紀夫 十代書簡集』
本の表紙には自分が知っているそれとは違う三島由紀夫少年がいた。
面影はあるが、右と左で眼の大きさがぜんぜん違うのだけがきになった。
客さんが寄こしたと言って社長がカウンターの上に置いたダンボールいっぱいの本。
このお客さんからは私も以前に本をもらったことがある。
これと言った嗜好があるわけではないらしく、快楽殺人から純愛文学まで幅広く手に取るらしい。
その人曰くどんなにつまらない本だったとしても「作者に敬意をはらって」半分以上は読み進めるとのこと。
それでも苦痛だった本はこうやって人に惜しげもなく押し付けるという塩梅だ。
私が知っている三島由紀夫は「右翼」「筋肉」「自決」ぐらいである。
もちろん小説も読んだことはない。
あぁそういえばこんなのは読んだ事があるよと挙げようとしたのは「書を捨てよ町へ出よう」
それは寺山修司だバカヤロウ。
とりとめもない話で申し訳ないが、一時期私はペンフレンドというものにあこがれた。
離れたところにいる人物と手紙というタイムラグありきの情報伝達をする。
自分の字の汚さについてはコンプレックスといっても差し支えないレベルだと思う。
だからこそなのだろか、自分の字を誰かに見て欲しいという一種の性癖にも似た欲望があった。
まだ読み初めて22ページ。
22ページ読んだ時点でこのノートパソコンをひらいた。
23ページ目がいつになるのは、まだ、誰も知らない。
この程度でのしたり顔では三島由紀夫少年には遠く及ばない
今日はこんないちにち