日記以外の何者でもない

ここにその日あったことを垂れ流す。

映画『藁の楯』を見ておもう、サイコパスの心の中

2017.6.30

 

いま、缶ビール片手にテレビで「藁の楯」をみながらこれを書いている。

やるせねーーーーーーーーーー。

 

最初っからずーーーーっとやるせない。

いい人からどんどん死んでいく。

あ、でも駅の包丁男。おまえは別だ。

 

まだ終わってないけど、一番印象に残ったシーンは、清丸が自分のお母さんが自殺したことをラジオで知った瞬間に号泣し始めるシーン。

おまえがそこで泣くのかと

なんでおまえがそこでわんわん泣くのかと。

お母さんの最後の言葉の「もう人を殺さないでください」

という言葉に対して、その直後に殺しているし

もうおまへはなんなんだと

 

端的に言えば清丸はサイコパスなんだろう

ひとを殺すということにためらいも罪悪感もない。

ただ、隣りにいて臭かった。

本当にそんな理由だけで殺したのかはわからないけど、内転した後に銃を投げ捨てているところを見る限り、そのまま逃走する気もないし、もしかしたら本当に臭かっただけなのかもしれない。

でも、実行しないまでもちょいちょい自分のことを殺そうと提案している白岩が目障りだったのはたしかだろうし。

白岩=大人の女性=じぶんの愛する幼女から年を取って見にくくなった存在っていうことも余計にあったのかもしれない

 

あ、でも自分の愛する?存在である幼女も殺してるな。

自分の好きなもの(幼女)を自分の手で天に還す?ということでカタルシスをえることなんかそんな感じなのかとかってに想像していたけど、

彼にとって人殺しとは、そこまで神聖なものではないのかもしれないなぁ。

もっと単純に、人殺すということそのものに快感を覚えていて、それが愛する幼女ならなおサイコーっていうだけなのかもしれない

 

とにかくサイコパスというものは常人には理解できないものなんだろう。

よくもまぁこんなに理解できないものを映画で表現できたものだとつくずく思う。

監督or脚本の人には犯人の心の中をどう想像していたのか聞いてみたいものだ

 

関係ないけど、蜷川っていったら絶対みんな蜷川幸雄さんを思い出すよね。

映画の孫の名前が娘はチカで、蜷川幸雄の娘がミカってところもなんとなくわざとらしいし。

あと最後の警視総監?が「国家の威信にかけてもこの男の命を最優先に!!」とか言ってるのなんかずれてるよね

わざとだろうけど

 

うわー、もっとなんか色んな人と語りたくなる映画だったね!

いまからもう一度だれかと一緒に最初っから見直したい!

うん! 今日はそんないちにち!!