職場のレベルの低さを嘆いてもしょうがない。自分でなんとかしろ。
今から私は愚痴を書く。
最近私は職場で「なんでこの人達はこんなにもレベルの低いケンカをしているのだろう」と本気で虚しくなる。
ある程度の規模の会社なら、人が集まればそんな人もなかにはいるさと開き直れるが、たった7人しかいない会社の中でなんでトップの社長と次席の社員がそんなにもくっだらないケンカをしていられるのだろうと、本当に信じられない。お前ら私より一回り以上も年上なんだろ?
私は今の職業が大好きだ。天職だと思っている。一生携わりたい。
でも、私はもっと高い次元の仕事がしたい。いやせめて普通に仕事がしたい。
社会人としてそーとークダラナイですよ。あんたたちは。
私はいずれこの業界で社長になりたいと思っている。自分で会社を起こしたいと。本気で。
私が陰ながら本当に尊敬している私の父は、今の私と同じくらいの頃、後に師匠として多くのことを学んだ恩師と出会っている。そしてその恩師の一番間近で仕事をした後に、独立した。
私の恩師はいったいどこを探せばいいのだろうか。
こんなことを言うと「人を頼るな、自分を磨け」といわれるのだろうか。
わかっている。このままここでひとりごちてもなんの意味もない。
こんな泥沼でゆっくり浮かんでいる暇はないのだ。
もっともっと頭を回せ。
新しい水を入れろ。
今の池の汚さを嘆いてもしょうがないのだ。
どうせこんなに小さな水たまりだ
自分でなんとかしろ。
最悪の出来事は、最高の朝食から始まる
今朝、車を駐車場から出して約50m。異変に気がついた。明らかに車体が振動している。しかもタイヤが一回転するごとにガタン。もう1回りするたびにガタン。これはあれだ、学生時代に自転車通学していたときによく体験したやつだ。とりあえず路肩に停め、ドアを開けて後輪を確認する。見るからにぐにゃりとひしゃげたタイヤ。まるで生気を感じられない。フン〜、と長く鼻から息を吹き、ドアをバタンと閉めて横に広がる水を入れたばかりの田んぼを見た。ーー今日の朝はなかなかすてきなものだった。いつもは私が一番最初に起きるのだが、今日はなかなか起きれなかった。逆に、奥さんが珍しく早起きしたらしく、なんと朝4時から朝食用のパンをせっせとこしらえていた。最近、パンやお菓子を精力的に自作している。新しい借家に移ってからキッチンに立つのが楽しくて仕方がないのだそうだ。それを聞いただけでも引っ越しをしたかいがあるというものだ。私はいつもは6時半には自然と起きるのだが、今日はなかなか布団をでるに能わず、ぬくぬくと布団にくるまり覚醒と夢の中を行ったり来たりしていた。7時を過ぎ、「いつもより早いけど朝ごはんにしませんか」との呼びかけでようやく私は起き上がり、奥さん特製の胡麻パンとハッシュドポテト、最近作り置きしているきのこのマリネ入りのサラダ、そしてコーヒー。ここに書いているだけでも幸せになるような理想の朝食であった。ーーからの、パンクである。もう、もう、とにかく最悪だ。なんたってこの落差が、すごい。絶望に打ちひしがれながら打開策を考える。このままどうにか走ってガソリンスタンドまでたどり着けないものだろうか。駄目だとわかっていても走らせてみる。規則的なリズムで揺れる車体。そうだ、思い出した。パンクしたまま走ると、タイア交換だけでなく車体の修理も必要になると以前聞いたことがあるぞ。やはり無理だ。戻ろう。少し進んだ道を戻る。とりあえず遅刻は確定したので上司にメール(ちなみに上司もこの日、子供の保育園が、、、とか言って遅刻した)。朝1で打ち合わせ予定だった業者にも連絡し、時間をずらしてもらう。さて、どうするか。残念ながらJAFには加入していない。ガソリンスタンドに連絡して出張修理してもらうということも考えたが、今月の財布を考えると出費は最小限にとどめたい(ケチ根性は美徳である)。かくなる上は自分が頑張るより他はない。車のバックドアを開け、スペアタイヤを取り出す。同時に、近くに格納されていたジャッキも取り出す。いい調子だ。パンクしたタイヤのホイールカバーを外す。マイナスドライバーがなかったので庭に落ちていた娘のシャベルで代用する。外せた。これがナットだな。えーと、工具。……あれ、工具がない。車のどこを探してもない! 30分ほど探したがやはり工具は見つからなかった。工具がなければ何もできない。お手上げである。
私はその瞬間、すべてを放棄した。
忘れるのは記憶力かそれとも興味の問題か。
突然、自分が薄情な人間だと思えることがままある。どんなときかといえば、自分の過去に思いを巡らせたときだ。
いや、ほんとに、自分でもびっくりするほど記憶が乏しい。「わたしは過去にとらわれないニンゲンなの」なんていえば格好がつくのかもしれないけど、自分が所属していた大学の研究室の教授の名前が思い出せないとわかったときにはかるく絶望すら覚えた。
おとといのこと。「卒業から今年で10周年です。ぜひ今年のお盆は高校のみんなで集まりましょう」という連絡とともに、LINEのグループへの招待がきていた。わたしは故郷から遠く離れた場所でいま暮らしている。
彼らがいま、なにをして生きているのかまったく知らない。
別に、いまの彼らを知らないことは何ら恥ずべきことではないのだけれども、私が恐れているのは、当たり前のように花咲くであろう当時の思い出話だ。
まったく覚えていないことはない。フルネームではないにしろ、あだ名で良ければおそらく顔を見なくてもクラスの半分ぐらいは言える。
だが、当時クラス内でおきていた出来事となると、おそらく会話の7割は記憶にない可能性がある。現に、卒業して2〜3年後の大学在学中に一度だけ開催された同窓会ですら、もう現国の先生の名前と口癖が思い出せなかった。当時あんなにマネをしてバカにしていたのに。
そういう場面に出くわすと、本当に自分の記憶力のなさが情けなくなる。むしろ、これは本当にただの記憶する力が弱いというだけなのだろうか。もしかすると私は私が思っている以上に、他人に興味がないのではないだろうか。興味がないからこんなにも記憶に留めることができないのではないだろうか。
はなしは飛ぶが、今日から関東以南の本州は梅雨入りだそうだ。
ラジオで聞いていて気づいたのだが、私には季節に関する記憶、というか常識が乏しい。私は本気で例年の梅雨が5月なのか6、7月だったかよく知らない。祝日も何月になんの日があるのかわからない。年中行事で確実なのは正月と4月の入学・入社ぐらいのものである。
少し話を戻すが、私は招待されたままLINEグループに入ることもなく、いまだなんの返事もしていない。まぁ、今日はこんないちにち。
糸井重里と我が奥様の『うんこちんちんぽんぽん』
2017.7.3
前にも書いたけど、さいきん、またほぼ日をほぼ日アプリで読み続けている。
そこでほぼ日ではトップに「今日のダーリン」という糸井重里が毎日書くエッセイのようなものというものがある。
そして、今日の「今日のダーリン」は『うんこちんちん』のお話だった。
『うんこちんちん』のお話なのに、糸井重里さんが語るとなにやらスゴイもののように感じられなくもない。
とは言いつつも『うんこちんちん』とはつまるところ下のネタである。
そんでもってなにを隠そう、うちの奥様はこのシモネタが大好きである。
だからなんなのだというおはなしなのだが、今日、私が帰宅して晩御飯をたべた後、うちの奥様が嬉々とした笑顔で「ちょっとこのこの動画見て!!」と携帯を差し出してきた。
それがこの動画である。
いや、ほんとうにだから何なのだというはなしなのだけれども、偶然にも、糸井重里と我が奥さんが今日一日でどことなくリンクしたということがちょっとおもしろかったです。
はい、それだけです。
えーと、今日はこんないちにち。
sp. このちんちんぽんぽんという曲、一度聞いたら頭の中でリフレインを起こすこと間違いなしです。中毒性がございますので用法用量をまもって正しくちんちんぽんぽんしてください。
映画『藁の楯』を見ておもう、サイコパスの心の中
2017.6.30
いま、缶ビール片手にテレビで「藁の楯」をみながらこれを書いている。
やるせねーーーーーーーーーー。
最初っからずーーーーっとやるせない。
いい人からどんどん死んでいく。
あ、でも駅の包丁男。おまえは別だ。
まだ終わってないけど、一番印象に残ったシーンは、清丸が自分のお母さんが自殺したことをラジオで知った瞬間に号泣し始めるシーン。
おまえがそこで泣くのかと
なんでおまえがそこでわんわん泣くのかと。
お母さんの最後の言葉の「もう人を殺さないでください」
という言葉に対して、その直後に殺しているし
もうおまへはなんなんだと
端的に言えば清丸はサイコパスなんだろう
ひとを殺すということにためらいも罪悪感もない。
ただ、隣りにいて臭かった。
本当にそんな理由だけで殺したのかはわからないけど、内転した後に銃を投げ捨てているところを見る限り、そのまま逃走する気もないし、もしかしたら本当に臭かっただけなのかもしれない。
でも、実行しないまでもちょいちょい自分のことを殺そうと提案している白岩が目障りだったのはたしかだろうし。
白岩=大人の女性=じぶんの愛する幼女から年を取って見にくくなった存在っていうことも余計にあったのかもしれない
あ、でも自分の愛する?存在である幼女も殺してるな。
自分の好きなもの(幼女)を自分の手で天に還す?ということでカタルシスをえることなんかそんな感じなのかとかってに想像していたけど、
彼にとって人殺しとは、そこまで神聖なものではないのかもしれないなぁ。
もっと単純に、人殺すということそのものに快感を覚えていて、それが愛する幼女ならなおサイコーっていうだけなのかもしれない
とにかくサイコパスというものは常人には理解できないものなんだろう。
よくもまぁこんなに理解できないものを映画で表現できたものだとつくずく思う。
監督or脚本の人には犯人の心の中をどう想像していたのか聞いてみたいものだ
関係ないけど、蜷川っていったら絶対みんな蜷川幸雄さんを思い出すよね。
映画の孫の名前が娘はチカで、蜷川幸雄の娘がミカってところもなんとなくわざとらしいし。
あと最後の警視総監?が「国家の威信にかけてもこの男の命を最優先に!!」とか言ってるのなんかずれてるよね
わざとだろうけど
うわー、もっとなんか色んな人と語りたくなる映画だったね!
いまからもう一度だれかと一緒に最初っから見直したい!
うん! 今日はそんないちにち!!
やわらかい空気をもつひとびと
2017.6.29
わたしは『ほぼ日』がゆるく好きだ。
いまはほぼ日手帳も使っていないし、手帳以外の商品には興味もあまりない。
でもなんとなく好きだと思える。
最近、ほぼ日のアプリが出たことを知り、さっそくダウンロードした。
好きだとか言いつつもけっこう久しぶり(1年以上?)にほぼ日という空気に触れた
そしてやっぱり思う
ほぼ日っていいなぁ。
今日はこんなよみものを見た
フードスタイリストの飯島奈美さんのことはちょいちょい気になっていた。
最初のきっかけはやっぱり、あの「かもめ食堂」のごはんをつくった人なんだという認識。
そういえば最近、アマゾンプライムで「パンとスープとネコ日和」という全4回の短いドラマを見た。
もちろんフードスタイリストは飯島奈美さんで、演出も出演しているのも安定のいつもの面々だ。
パンとスープとネコ日和をAmazonビデオ-プライム・ビデオで
ドラマを見ていて、ストーリーには直接関わってはおらずとも「あ、なんかあの料理おいしそう」と思うとき、そのドラマのエンディングのクレジットには飯島奈美さんが居る。
飯島奈美さんのつくる料理はまず間違いなく「それぜったいおいしいやつやんー!」と思う。思わされてしまう。思わずにはいられない。
そしてなぜだかは知らないけど、この料理をつくった人は絶対に『いい人』だと確信をもって言えてしまう気がする。
美味しい料理はひとをしあわせにするからだろう。
天海祐希さんは私の数少ない好きな女優さんの一人だ。
彼女もまた、周りの人を勝手にしあわせな気持ちにさせてしまう空気をもった人だと思っている。
『なんかかわいい人』という表現がよく似合う。
喋るどころかひと目お会いしたこともない人にこんな評価をしてしまっていいのだろうか
まぁ幻想だとしてもそれでもいい。
食事会(?)での内容は、たべもののはなしはもちろん、3人の子供の頃のはなしや、天海さんが所属していた宝塚のはなし、天海さんの地元の上野のはなしなどと、どんどん話題が転がっていく。
特に気になったのが天海祐希さんの家族のはなし。
血みどろの兄貴とそれに動じることのない両親の件など、すごくびっくりした。
祭りと喧嘩が大好きな『江戸っ子』という人たちはどうやら本当に実在していたらしい。
最初から最後まで、この記事に登場する人たちはみんなそろってやわらかい空気を持っている。
文章越しですらそれが感じられるということは、たいへんすごいことだなぁと私は思う。
それはもしかしたらおいしい料理のおかげなのかもしれないし、そもそも3人がもっている空気感がなせる技なのかもしれないし、その両方なのかもしれない。
できることならば、私のまわりもこういう人たちでいっぱいに囲まれてみたい。
それにはまず、私自身が周りの人をしあわせにする必要があるのかもしれない。
今日はこんないちにち。
人のふり見て我がふり直せとはいうけれど
2017.6.28
今日は仕事で東京と横浜へ行ってきた。
でも違うんだ。今日はその話じゃないんだ。
出張から帰って適当にテレビのチャンネルを回すと、民放で同時刻に2つもダイエット番組をやっていた。
一つは『大家族』と『ダイエット』という美味しいものと美味しいものを足したらすごく美味しいものになるよねっていうびっくり公式を元に作ったんじゃないかっていう番組。
5秒でチャンネルを変えた。
もう一つが『ダイエットヴィレッジ』
8人のおデブさんたちが1ヶ月間共同生活をしながら8人合計100㌔のダイエットに挑むという番組。
内容は毎回全くおんなじで、一人だけ運動をボイコットしてみたり、自分はこんなに真面目なのにお前は不真面目だと罵倒してみたり、でも私のほうが多く痩せてますけどねと逆ギレしてみたり、まぁそれでも最終的にはみんななかよし!みたいなね。
今回は脱落者も出ず、目標も達成して本当に大団円という形で番組は終わった。
印象的だったのはこの番組を一緒に見ていた家人たちの反応だ。
ヨメ様はまるで自分の姿を見ているかのように重い、我が身を恥じた。
お義母上様は「毎回こんだけ太ってる人をみると、自分はまだまだ大丈夫だっておもうは」とのたまった。
捉える人によってこんなにも反応の違いがでるものかと思うと面白くおもう。
ちなみに私はと言うと、見終わってから洗面台にのこる食器類を洗い、ヨメ様が自分用に買ったサウナスーツを袋からだし、1時間ほど外を歩いた。
人のふりをみて我が身をどうふるかは自分次第である。
今日はこんないちにち。